今、上野の陳列館でやっている、「<写真>見えるもの/見えないもの」のカタログの中の、中山岩太(1895〜1949)のコメントにすごく共感出来る。
「運惡く、美しいものに出逢わなかつた時には、デツチあげても、美しいものを作りあげたい。」や、「とも角美しい寫眞が好きだ」など。
どうってことないようにも見えるけど、先端芸術表現科の中で改めて問い直したい言葉。もちろん「先端芸術表現科」というぐらいだから、そういう方向を向いていない人もたくさんいる。でも少なくとも僕は、美しいものを作りたいという気負いと衝動なくしては作れない。(あえて)先端の中に於いて、この言葉に根ざした立場をより明確にして、卒業制作に臨みたい。
art&riverbankの八田政玄展を見る。作風に共感出来る部分があって、ちょっと気になってた展覧会。写真によるインスタレーションのなかに、あるシークエンスが立ち上がってくる。写真中の人物はたぶん日本人だけれども、ヨーロッパで見る写真を見ているような感じ。
会期がほぼ僕の展覧会とかぶっている。2枚売れていた。僕はゼロ。
2枚売れていたけど、売れていたのは「そっち買うの?」という感じの写真だった。